キヌ六感想(ネタばれ少なめ)

[まとめ買い] キヌ六(アフタヌーンコミックス)

 本作はコンピュータネットワークが地球を覆い、ロボットやサイボーグや人体改造が普通になった未来世界を舞台にしたSF作品です。前作の「ベントラーベントラー」はのんびりとした非日常な日常を描くSF漫画でしたが、今作は不死者同士のスプラッタなバトル漫画となっています。

 SF設定のアイデアが楽しく、二巻完結の短い話なのも相まって、情報量が多めになっています。普通の漫画ファンが面白いと思うかは微妙なところですが、どこか引っ掛かりがある作品で、こうして解説テキストを書いているくらいには気になる作品です。

 この作品の主人公は、二人の少女です。この二人が物騒な追跡者から逃避行しながら、弥次さん喜多さんよろしく東京から名古屋(伊勢湾)を目指して旅をします。ただ、二人はただの少女ではありません。

 一方の六は、小学生のときのアクシデントによって脳以外がサイボーグになっています。六は、未来版じゃりン子チエというべき複雑な家庭に生まれ、ヤクザの父親とその愛人の娘になります。六歳の時に父親とともにおそらく商売敵から襲撃を受け、肉体を失います。その後、父親と母親は行方不明になったため、継母の元に身を寄せながら、ヤクザの経営と思われるヌードルスタンドで働いています。彼女の生きがいは、自身のサイボーグ手術費用の借金返済という薄幸の15歳です。

 もう一方のキヌは宇宙時代の人間として設計された人造人間です。人造人間といってもサイボーグ的なものではなく、人体構造が内臓から骨から人類と異なる別物の生物です。身体能力/生命力が旧人類をはるかに越えている超人間です。

 キヌはある組織が運営する筑波の研究所で作られますが、脳手術の前に脱走します。仮面ライダーに似てますね。そして、逃走の途中で、ヌードルスタンドで働いていた六と出会い、一緒に名古屋まで旅することになります。

 キヌを作った組織は軍隊すら動員してキヌを追求しますが、キヌは不死身な上、サイボーグをも生身で圧倒するほど強いので簡単にはいきません。他方の追跡者もキヌのプロトタイプや戦闘サイボーグで、手足がなくなっても、体を撃ち抜かれても戦いが終わらない地獄の戦いとなります。サイボーグである"六"も、片手片足を破壊されながら、キヌを守って戦います。

 やがて、キヌを支援する組織が現れ、死闘の果てに、キヌは同族の仲間の元に帰還することになります。キヌと六は深い友情に結ばれますが、進む道が違いすぎるために、別れることになります。冒険から戻った六は、キヌを支援する組織から報酬を得て借金を完済します。そして少し大人になり、行方不明であった母親と和解して一緒に暮らし始めることになります。

解説

 旅の終わり、キヌと六は別れます。その後にキヌは六とは遠く離れた世界で宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長のように過去を懐かしむことになります。六は、ファーストガンダムアムロのように自分が帰る場所を見つけます。ただ、二人は幸せになったという描写はありません。非常に寂寥感をもって描かれます。これは二人の子供時代が終わって、大人になったという意味なのかもしれません。

 私の妄想ですが、この作品には一緒に漫画家を目指していた作者と友人の思い出が下敷きになっているのではないかと考察します。キヌは漫画家という不安定な職業を選んで厳しい道で戦い続ける自分。六は、漫画家になることを諦め、故郷に残って堅実な生活をしている友人。ただ、漫画家を目指して仲間と過ごした過去は今も懐かしく輝いているのでしょう。

解説2:この作者が考える未来観

 この作品では、既存の人類は未来世界に生き残れないだろうことが描かれます。人類の肉体は脆弱すぎるという理由です。本作では旧人類は弱いものとしてしか描かれていません。

 ライバルとして登場するキヌとタイプが異なる次世代の人類は、ヒトの姿を捨てていないキヌをバカにし、キヌの仲間もやがて彼らが人間の姿を捨てる宿命であることを示唆します。

 このように次世代の人類は人間の姿も人類の文化も受け継がないように描かれます。ここはさびしい部分で、もしかすると、この作者は人類に絶望してるのかもしれません。

 *)この辺りの絶望感は、後年の「第三惑星用心棒」では払拭されているので、それは良いことのように感じます。